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いじめによる自殺や殺人―全くもってあってはならないことです。
なのにどうしてこう何度も繰り返されるのか。
それは、全ての生物の本能に関わることだからではないか…
生きとし生けるものの究極の目的が種の保存であるとすれば、より強い遺伝子を残すために強者が弱者を押し退けて淘汰しようとするのは無理からぬことと思われます。
様々な動植物の生態からも明らかです。
テレビのドキュメンタリーなどで同種の動物同士の壮絶な殺し合いを見ても、眉をひそめながらも仕方のないことだと割り切っている。
いじめは、ヒト特有の心の動きにより歪められたひとつの淘汰に至る過程なのかもしれません。
全てのヒトの潜在意識から種の保存に関する項目を消去しない限り、いじめはなくならないでしょう。
しかし、本能だからといって決して許されるものではない。
そこが、万物の霊長と豪語するヒトがヒトたり得るか否かの分かれ道ですよ。
消費税増税も弱者に対するいじめです。
ところがお人好しの日本人は、「子供達の未来のため」などと言われると、早速種の保存の本能のスイッチが入ってまんまと納得させられてしまうのです。
この本能は強者が弱者を駆逐するのみならず、弱者が自ら進んで強者に排除される行動さえも起こさせるようです。
いじめをいじめと気付かない、まるでドメスティックバイオレンスに遭っている人が、加害者のことを「本当は優しい人だから」「私にも非があるのだから」などと言ってその場しのぎの謝罪に騙され洗脳されて、結局抜け出せないのと同じです。
しかも、命懸けで増税を強行しようとしている我が国の総理大臣は、これまた「いじめに加担しなければ今度は自分がいじめられる」というよくあるいじめスパイラルにはまっているようにも見受けられます。
それこそ命懸けですから、殺らないと殺られるのでしょうね。
ヒトとしての誇りは、理性はどこへ行ってしまったのか、情けないことです。